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福岡高等裁判所 昭和37年(ネ)489号 判決

控訴人 松尾清 外一六名

被控訴人 大辻炭礦株式会社

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴人ら代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人代理人は「控訴棄却」の判決並びに当審において訴の交換的変更をなし「控訴人らは北九州市八幡区木屋瀬町大字金剛字堤の内二六四番地所在同区同町一九号溜池(通称星野溜池)に対し、その溜水が池底より地下に洩水することを防止するため別紙〈省略〉見積書記載の工事及び施設を完備しなければならない。控訴人らは右工事及び施設を完備するまでは右溜池を使用し流水を流入せしめ池底に流水を滞水せしめ若しくは池底より地下に洩水せしめてはならない。」旨の判決を求めた。

当事者双方の主張と立証は左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する(但し、原判決九枚目表一行「将来」は「招来」に、同裏二行「帰因」は「起因」に訂正し、なお、六枚目表三行末尾に「但し、本件は占有訴権に基づく請求ではない」を付加する)。

一  被控訴代理人は次のとおり述べた。

本件灌漑用溜池はこれを使用するかぎり、その瑕疵によつて、被控訴会社の採堀設備全体を水没せしめる危険があり、従つて被控訴会社は控訴人らに対し洩水を防ぐために修繕及び予防工事をなさしめることができ、控訴人らはその義務を負担しているものなるところ、その工事施設の程度は被控訴会社に危害をもたらさないためには別紙見積書記載のものであることを必要とする。

また本件溜池の溜水が池底より地下に洩水することを防止するための右工事及び施設を完備するまでは控訴人らが本件溜池を使用することは許されず、更に流水を流入せしめ、又は池底に流水を滞水せしめると当然に地下に洩水することも明白であるから控訴人らによるかかる行為も許されないところといわなければならない。

二  控訴人ら代理人は右被控訴人の主張はすべて争う。控訴人らはかかる工事をなす義務はなく、被控訴会社にその主張する如き権利は発生しないと述べた。

三  立証〈省略〉

理由

被控訴会社が石炭の採掘を目的とする会社であつて、北九州市八幡区木屋瀬町に鉱区を有し、地底に石炭採掘のための事業施設を有していること、同町大字金剛字堤の内二六四番地所在の同町第一九号溜池(通称星野溜池、以下本件溜池という)を控訴人らが占有していること、被控訴会社の前記採炭施設と本件溜池との間に第三者の鉱区が介在して石炭採掘がなされたていこと、昭和二八年八月一日の本訴提起前、被控訴会社が本件溜池の使用停止を控訴人らに求めてその旨の仮処分命令が福岡地方裁判所直方支部から発せられていること等の各事実は何れも当事者間に争いがなく、右被控訴会社の施設と本件溜池間の距離が約一、七〇〇米程度であることは控訴人らの明らかに争わないところである。そこで以下被控訴人の主張するとおり、本件溜池が民法第七一七条第一項にいう「土地ノ工作物」に該当し、その保存につき所論のとおりの瑕疵が存在して、このために被控訴会社の前示鉱区における諸施設に損害を及ぼし、又現在及ぼす虞れが現実に存在するかどうかの争点について判断する。

一  民法第七一七条第一項にいう「土地ノ工作物」とは、土地に接着して人工的作業を加えることによつて成立した物を意味すると共に、土地自体に人工を加えて作つた溜池、貯水池の如き物をも広く包含するものと解せられるところ、成立に争いない乙第三号証の二、第三号証の三の一ないし三、第三号証の四によれば、本件溜池築造の時期は必ずしも明瞭ではないけれども明らかに土地自体に人工的作業を加えることによつて作出した物であつて、控訴人らがその先代から承継して付近約七町歩位の水田の灌漑ならびに防火のための貯水池として使用されていたことが認められるのであるからこれを前記「工作物」に該当するものと解するのを相当とする。

二  成立に争いない甲第五ないし第七号証、第九号証、第一〇号証の一ないし三、第一一号証、第一二号証の一ないし三、乙第二号証の一ないし四、第三号証の二、第三号証の三の一ないし三、第三号証の四、第三号証の五の一及び二に原審鑑定人児山勝、梅田勝巳、小掘正即、池芳人の鑑定各結果、当審証人星野幸生の証言を総合すれば以下の各事実が認められる。

(一)  北九州市八幡区木屋瀬町大町金剛の本件溜池付近は訴外筑豊鉱業株式会社が鉱業権を有する鉱区であり、昭和二一年三月頃から訴外星野幸生が同会社との間の請負契約によつて、地下の石炭採掘の業務に携つていたが、後に星野は、同会社との間に租鉱権設定契約を締結して関係官庁の認可を受け、石炭採掘に従事するに至つた。

(二)  昭和二二年四月頃、星野は右溜池付近の石炭を採掘する必要上、本件溜池の所在地たる木屋瀬町大字金剛字田ノ口区の代表者である控訴人木原茂ら六名の者との間に、石炭採掘に伴う迷惑料として、昭和二二年から三ケ年間に分割して合計金二〇万円の金員を支払うことを約し、採掘についての了解を得たが、翌昭和二三年八月二五日、右星野による石炭採掘の便宜上、本件溜池の占有者らの代表者である控訴人松尾清ら六名の者は、本件溜池の水利権を昭和二五年一二月三一日まで放棄し、星野において本件溜池内の石炭を露天堀の方法によつて採掘すること、これが復旧費として金五〇万円を積立て、かつ右水利権放棄の代償として金六〇万円を本件溜池の占有者に支払い、これらの者が同町高野浦所在の溜池からその耕作水田に引水することに対する金銭的補償をも併せ行うことを約した。その後、昭和二六年五月二五日と昭和二七年六月一日との二回にわたり、控訴人らの代表者らはさらに金銭的補償を受けて右水利権放棄の期間を各一年宛延長し、結局昭和二三年八月頃から昭和二八年六月頃に到るまでの間本件溜池は控訴人らによつては使用されていなかつた。

(三)  ところで、右期間中の昭和二四年六月頃、被控訴会社もその構成員となつている遠賀炭田防水組合は、星野幸生から右溜池付近の防水工事をなすことを一〇〇万円で請負い、池底の石炭を露天堀してその跡に粘土を埋め、又地下及びその付近の坑道には硬充填、実木積等の防水工事を施して一応これを完成したけれども、本件溜池の復旧工事としては必ずしもみるべき成果をあげるに至らなかつた。

(四)  一方右星野は前示工事の前後を通じて、前記のとおり採炭を継続し、本件溜池の地底を地表面から二、五米ないし六米程度の深さの極めて浅い坑道堀の方法によつて相当広範囲な採炭を行つたため、地底はその地表が極めて軟弱かつ不安定な状態を招来し、容易に陥没し易くなり、本件溜池設置の目的である貯水を行い、灌漑なしい防火の用水に役立てることが相当程度困難となり、このままでは溜池としての本来の効用を十分に発揮することは望みがたい状態に立到り、これに修復工事を加えて本来の面目を備えた溜池に復旧させるには不相当に過大な経費を必要とし、経済的にも必ずしも得策とは言い得ない状態となつた。

以上の認定に反する当審控訴本人木原茂本人尋問の結果は措信しがたく他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすると本件溜池は、その現状においては、これが本来正常な姿において備えているべき性質や設備を欠いでいることは明らかであつて、その保存に瑕疵があるものといわなければならない。

三  次に、被控訴会社が本件溜池に存する前記瑕疵によつて、昭和二三年七月頃から本訴提起に至る昭和二八年七月頃までの間、果してその主張するとおりの損害を受けた事実があるかどうかという点について判断する。

前記甲第一二号証の一ないし三、原審鑑定人児山勝、山下金太郎、梅田勝巳、小堀正即、池芳人の各鑑定結果によれば、本溜池からの洩水はその池下に掘られている筑豊鉱業株式会社の坑道或いは古洞を経由して、四〇時間ないし六〇時間後には被控訴会社の前記採炭施設である緑坑内にまで到達するものであり得ることが認められ、その意味では本件溜池地下と被控訴会社の緑坑とは地下水流の流れ道(いわゆる「みづみち」)の接続があるものということができる。そして、右甲第一二号証の一及び三、原審鑑定人山下金太郎の鑑定結果等によれば、被控訴会社の前記施設である緑坑に昭和二三年頃から本訴提起頃までの間数回の出水事故があり、同坑が相当程度の損害を受けたという被控訴人の主張事実に一部符合する事実が窺われないではない。しかしながら前認定の如く、右期間中の大部分は控訴人らは星野幸生との間における前示水利権放棄契約によつて、本件溜池を貯水池としては使用していなかつたのであるから、右出水事故が控訴人らによる本件溜池の使用によるものとはたやすくこれを認めることを得ないものというべきである(被控訴人の主張する昭和三〇年以降の出水事実が仮にあつたとしても、それは本件溜池の使用が仮処分によつて控訴人らに禁止され、現実に右池の使用がなされていない時のことであつて、これまた右池の使用による事故とは認めがたい)。却つて成立に争いない甲第六号証、第一二号証の三、原審鑑定人小堀正即、池芳人の各鑑定結果、原審証人児山勝、当審控訴人木原茂本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、被控訴会社の鉱区が存在する木屋瀬町一帯には、いわゆる筑豊炭田中において比較的小規模の鉱区が数多く存在し、多年にわたる乱掘によつて河川や池沼、水田等の損傷が甚だしく、地表から地下或いは坑内への侵水が通常の場合と比較して著るしく増加している状況にあることが認められ、被控訴会社の前記施設が蒙つたという前記出水による損害も、多分にかかる特殊的環境のもとにおいて多量の降雨等を機縁として惹起せしめられたものと認められる余地があり、必ずしも本件溜池の使用によるものと即断することはできないものといわなければならない。

四  ところで、被控訴人はその坑内施設が蒙つた前記損害は、専ら控訴人らによる本件溜池使用の結果であり、将来もこれを使用するにおいては、被控訴会社としては過去の実情からみて同様の損害を蒙る虞れがあり、かかる予想される損害を防止するために、民法第七一七条第一項の法意からして、本件溜池の占有者たる控訴人らに対して右溜池からの洩水を防止するための溜池の修繕及び洩水予防措置をなさしめる権利があり、控訴人らがなすべき工事の程度は別紙のとおりであると主張し、更に控訴人らが右工事を完成させるまでは本件溜池を使用し、流水を流入せしめ、池底に流水を滞水せしめ、若しくは池底より地下に洩水せしめてはならないという本件溜池の使用を絶対的全面的に禁止することを要求する権利があるというのであるが、かかる主張が果して現行法上是認されるものであろうか。本件溜池にはその保存につき瑕疵の存在が認められることは前示のとおりであるけれども、右溜池の使用により、これまで被控訴会社の坑内施設に損害を及ぼした事実の認めがたいことも亦前説示のとおりである。そしてそれが可能であるかどうかは兎も角として、本件溜池に満水せしめてこれを使用するにおいては、恐らくは池下の陥没を招来して洩水しこの水のうち被控訴会社の前示施設付近にまで到達するものがあるであろうことも本件訴訟に顕出された前示証拠よりして想像されないではない。しかし、凡そ民法第七一七条第一項の規定するところは、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があり、他人に損害を生じた場合における工作物占有者の損害賠償義務を定めたものであつて、未だ損害が生じてもいないのに、すすんで将来における損害の発生を予想して、積極的に当該工作物の占有者に対して該工作物の瑕疵の修復を要求することができる旨を定めた条規でないことはその文理上明らかである。従つて、同条を根拠として本件溜池の占有者である控訴人らに対して被控訴会社の要求するが如き莫大なる経費を必要とする工事の要求、或いはこれを完成するまでの本件溜池の全面的使用禁止等を請求することのできる権利が発生するというが如き見解には、甚だしく疑問が存するものといわなければならない。被控訴会社の主張によれば、一且本件溜池から洩水するにおいては、被控訴会社の施設のみならず坑内に働く人命にまで危害を及ぼし、回復不能の損害を惹起する虞れがあるというのであるけれども、いやしくも本件溜池を溜池として使用する以上その使用の方法ないしは程度の如何を問わず常に必然的にかかる事故が発生する虞れがあるものとは本件訴訟に顕出された一切の証拠によつても容易に認めがたいところであるばかりではなく、被控訴会社はその業務内容が石炭採掘業であつて、前認定の特殊環境の許にある地域で地下の、それも本件溜池の池底よりも相当低い所で、池からは約一粁程度も離れた場所において事業施設をもち、これによつてその業務を遂行しているという特殊性、並びに本件溜池と被控訴会社の施設に至る間に介在し、流水のとおる道ともなり得る坑道や古洞等については、その発生、維持、管理等については控訴人らとしては何ら関知しないところである点等を併せ考慮すると、被控訴会社としては若干の出水に対してはこれを受認し、自らの排水施設を強化拡充してこれに対処するのがことの性質上相当であると解せられる。そして控訴人らにおいて、本件溜池をその使用目的、範囲、方法及び程度等を相当に限定し、これに満水せしめることなく、相当な注意を用いて一時に多量の洩水を防止し、被控訴会社の施設に対する洩水をしてその受認さるべき程度を越えない範囲内において流下せしめるようにして使用することもあながち不可能とは認めがたく、かかる場合には被控訴会社としては、控訴人らの措置を阻止し或いは積極的にこれを防止するために一定の作為ないしは不作為を要求するが如き権利を有しないのは勿論、損害の賠償さえも請求し得ないものというべきであろう。然るに被控訴会社が控訴人らに本件訴訟に請求している瑕疵修補は五、五四一万二、〇〇〇円にも及ぶ莫大な出費を必要とする工事であり、その工事施設を完成完備するまでは、控訴人らはその程度、方法の如何をとわず、本件溜池を使用し、流水を流入させ、又は池底に流水を滞水せしめ或いは池底より洩水せしめてはならないというのであつて、被控訴会社はかかる請求をなすにあたつて、自らの排水施設の拡大強化するについては必ずしも十分なる配慮を尽したものとは認めがたく、控訴人らに対して何らの代償をも提供する如き態度を示さず、和解にも応ぜず、ひたすら一方的に当然の権利として右の如き作為並びに不作為の請求をなしているのであるから、その不当であることは明らかである。

勿論、控訴人らとしては、本件溜池を使用するにあたつては、これに存する前示瑕疵について十分に調査認識し、配慮を尽したうえで相当なる限度内において使用すべきであり、一時に多量で被控訴会社の受認すべき限度を越える洩水を惹起せしめることのないよう留意すべきであつて、若し控訴人らが信義則上要求されるかような義務を怠り、被控訴会社に損害を及ぼし、かかる控訴人らの所為と被控訴会社に生じた損害との間に相当因果関係の認められるようなことがあるとすれば、これに対して控訴人らが損害賠償義務を負担する場合がありうることは考えられるけれども、そのようなときには民法第七一七条第一項の原則に即して解決すれば足りることであつて、単に将来このような事態に立ち到る可能性があるかも知れないからという漠然たる理由で、今日被控訴会社の主張する如き請求を是認すべき理由があるものとは到底解しがたいところである。そうすると本件控訴はその理由があるからこれと判断を異にする原判決は取り消し、被控訴人の請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小西信三 亀川清 安部剛)

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